今回は、私がダンス教師としての道のりを歩むきっかけとなったエルマイヤーダンススクール創立のエピソードを紹介します。
ヴィリー・エルマイヤー・ヴェステンブルックは、1885年生まれ。幼い頃から士官学校で学び、障害馬術競技で何度も優勝するほどの名騎手でした。当時、オーストリア帝国軍は、”世界で一番美しい軍隊”として有名で、士官学校ではダンスの授業が義務付けられていました。ヴィリーはそこで初めてダンスと出会います。教えていたのは、Eduard Rabensteiner(エドワード・ラーベンシュタイナー)。ワルツの作曲家として有名なヨハン・シュトラウスと組んで、たくさんの舞踏会を催していたダンス教師です。
1914年に第一次世界大戦が勃発。ヴィリーは騎兵大尉として従軍しました。そしてオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊します。皇帝とともに戦った何千もの兵士が、職もお金も、人生の目的も失い、ウィーンの街にあふれていました。彼らの問いは皆同じ、
『どの職業だったら就けるだろうか?』
多くの元兵士はその答えを見つけることができませんでした。人生に希望を持てずに、銃弾を頭に撃ち込む者も多かったといいます。ヴィリーも、考えます。士官としての名誉規範があって、どの職業でも就けるというわけではありません。
『ダンスの教師? いや、元士官がなれるわけがない。世間にどんな目で見られるだろうか・・・』
ウィーンにはすでにいくつものダンススクールがありました。
『リスクが大きすぎるのでは? お金もないし・・・』
父親は病気を患い、母親も視力を失い、戦時国債として預けたお金も全て失っていました。それらの心配を乗り越えて、ヴィリーは決断します。
1919年に、パラヴィチー二家の館の厩舎を改築して、ダンススクールをオープン。1966年に亡くなるまで、ダンスと馬術を教え続けました。
ヴィリー・エルマイヤーが本の最後に記した言葉:
Mein großer Wunsch ist, dass die Harmonie des Zusammenlebens fortgesetzt wird.
Nicht nur auf dem Tanzparkett - auch draußen im Alltag.
(私の大きな願いは、人と人との間の美しいハーモニーが、いつまでも続くこと。
ダンスフロアの上だけでなく、日々の生活の中にも。)
引用元:〜Vom Sattel zum Tanzparkett〜 (馬上からダンスフロアへ)
Die Lebensgeschichte meines Großvaters Willy Elmayer (祖父ヴィリー・エルマイヤーの人生)
Thomas Schäfer-Elmayer, Herausgeber (発行者 トーマス・シェーファーーエルマイヤー)
Harmonie (ハーモニー):調和、融和。
音楽を演奏する上でも、ダンスをする上でも、一番大切なことですね。